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その1が大橋くんだったので、常田さんのインタビューについて。
不遜な話ですが、常田さんの職人体質とか「物事の仕組み」が気になるとか、個人的には凄くシンパシーを感じます。自分がそうなれるかどうかは別として、ああわかるなぁって言う。
コンプレックスもトラウマのないところに芸術は生まれるのか? 努力と才能だけで成り立つものなのか?と言う自問自答を抱えた普通の人なのかなぁと思いました。この本を読み終わってから、まず「音楽と人」を読み返しました。『夕風』の時と『マリスノ』の時と。音楽で感動したい人にとっては、常田さんが言うところの職業倫理めいたものって、やっぱり不親切なんですよね。せっかく素晴らしいと思ったのに、水を差すのかと。
基本的に何事にも才能は必要です。受験勉強もスポーツも商売も容姿も。わかり易さ難たさ、汎用性の高さ低さ、門戸の広さ狭さ等はありますし、努力や力業でどうにでもなるものもありますが、絶対的にどうしようもないものも確実にあります。その最たるものが芸術であり、そういう曖昧さ、いい加減さを整理整頓したい、教科書を作りたい人なのかなぁと。ネガティブな意味でなく、クリエイティブと言うか、ある種パイオニアな感じで(笑)。そう言う野望が、「音楽を好きじゃない」と言う、開き直りつつも無意識な負い目に繋がっているのかもしれません――と言うのは、私の常田さん像。
大橋くんが持てないでいる自信を、常田さんが持っているんでないかと昨日の分で書きましたが、だからこそ大橋くんを全力で活かそうとし、彼や周囲の信頼や評価に応えようとする常田さんが格好良いし、それは彼の持つ不親切な職業倫理故なんでないかとも思います。
私は音楽は聴く方専門でクリエイティブな見解は全く持っていないし、音楽の持つパワーをどれだけ信用しているかと言うのもあやふやなのですが(9月7日日記参照)、文字や言葉の力は絶対的に信頼しているのです。「ペンは剣より強し」と言いますが、それらで表現できないものは究極的にはないと思いたい人です。形のないものを形にしたい、機体を固定してしまいたいと思うことは、共通点としては的外れでないんじゃないかと一方的かつ勝手に信じていたりします。