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『冷たい世界』と並ぶネガティブキャンペーン楽曲ですが、個人的にアルバム中でもお気に入りの1曲です。
軽快なリズム、特に2番から入ってくる鍵盤の音が心地良く、歌詞の凄く小さくもがいている感じが好きです。本人必死なのかもしれないけども、井の中の蛙……じゃないな、灯台下暗しっぽくて。
芸術家や役者さんの厄介さと言うのは自分の結論と他者からの要望が必ずしもイコールでないことに尽きる。会心の出来だ、これ以上のないものが出来たと本人が思っても、それを周囲や世間が認めない限りは一銭の価値もないと言う不安定さ。叶えた夢の上で生きていると言う精神的な、あるいは(成功を前提とした)金銭的なハイリターンを考慮したとしても、相応のリスクを背負っている。
それは規模の大小は別にすれば極平均的なサラリーマンやOLでも同じことではあるのだけれど、その大多数の内の1人としては、小市民なのでプチリスクプチリターンで充分です(笑)。賭けられる才能と度胸とアクティブさと情熱があると言うのは非常に羨ましいし尊敬に値しますが、堅固で冷徹な現実と己の理想との乖離を歌う大橋くんが感じ続けなければならない悲哀。
2番Aパートの♪「後悔だけはしないようにね」って愛してくれた人から去ってく やっとの思いで手に入れた今を憎みそうです がどう言うシチュエーションや心情から生まれたのかはわからないけれど、何度聞いてもちくっと来るフレーズです。
あと、特徴的だなぁと思うのが大橋くんがこう言う職業を生業としているにもかかわらず、自信のなさと誤解のされやすさを本人が凄く気にしていると言うことでしょうか? 彼の先輩であるスガさんも「アーバンでスタイリッシュな大人の男」だと思われてて参ると言うようなことをよく言っていたし、実際彼のフリートークを聞いたことのない人は、楽曲と外見のイメージだけでそう思うのは止むを得ないかなぁとも思いますが、ケラケラ高い声で笑うスガさんを見ていると、結局世間が何と言おうとどう思おうとこの人には関係ないんだろうと思わせるようなパーソナリティと存在感を感じます。何てったって確固たる根拠のない自信を持ってミュージシャンにとらばーゆした人ですから。
アーティストとしてあれだけの実績を残していながら未だ自信を持てないのは、浮き沈みの激しい世界だってことと、常田さんの存在が大きいのかなぁなんて勝手に想像してしまいますが、このソロ活動を通して得た自信をスキマで発揮してくれるのが今から楽しみです。でも、「僕にも歌いたくない日があるんですよ」とか言ってたら、私だって仕事に行きたくない日はメニーメニーあるゼ★(←威張って言うな)
大橋くんソロライブ後、アルバムのレビューをする為の勢いがかなり付いていた筈なのに、ズルズル今時期になってしまいました。
決意表明的に11月中に全曲書く気(←自分的なプレッシャー(笑))。そして、来年の新曲に備える。ああ、年末年始の大橋くんソロ出が何本かあるかな?
久々過ぎてレビュー書き方忘れてるなぁ(苦笑)。あまり冗長にならないよう、サクサクと進めたいと思います。
『ブルース』は大橋くんの癖をつけた歌い方が苦手であんまり好きでないんですが、インタビューでもよく答えていた「ホテルのシャワーが壊れていてお湯が出ない歌」。あと、ベースの山口さんをフィーチャーした曲だそうです。
実はライブに行く新幹線の中で初めてじっくり歌詞カードを読んだので、よく聞き取れてもなかったのですよね(ダメダメ)。大橋くんの書く歌詞は大別して、①ストーリー仕立てのフィクション編、②自嘲的ネガティブキャンペーン、③恋愛物と言う感じがしていますが、その中で言えば①のフィクション編ですね。
個人的に思い描くこの曲の主人公は自棄になったヤ○ザの下っ端か悪ーいホストなんですが、そう言う下世話で色気とかよりももっと直接的なグロい感じのエロさが出したかったのか、単語の一つ一つからして少しも上品でないところが面白いんですけどね。こう言う臭いを感じさせるような生々しさはスキマにはない味です(「匂い」ではなく、敢えて「臭い」。熟れ過ぎて腐る寸前的な(苦笑))。歌い方から演奏まで全ての雰囲気がこの曲の為に作り上げられた世界になっていて、「ホテルのシャワーが壊れていてお湯が出ない」だけの歌と言いつつショートの映画か小説のネタになりそうです。
……主演イメージは佐々木蔵之介さんでいかがでしょう?(笑)
余談ですが、広島で止まったホテルが繁華街の中にあったので、辿り着くまでがえっらい怖かった(泣)。
『ありがとう』の破壊力の大きさ故、私の中ではやや扱いが小さくなってしまったカップリング曲。
こういう根暗さって、スキマ曲には非常に薄いテイストですが、0でないと思うのはやはり大橋くん自身が持つ要素に違いないからなんだろうなぁ。常田さん色とは全く異質な気がします。常田さんが書く『きみがいいなら』とか『ズラチナルーカ』の系統には、「君」とか「世界」とか、相手がいるんですけども、こっちの対象は内省的な自分だと思うので。
スキマが意識的に相手を持つものを歌っているのか、2人の着地(妥協)点が自然とそこだったのかははわからないけれども、そう言う意味では非常にソロらしい曲ではあります。良くも悪くも自己満足なのかなぁと。
雑誌のインタビューでも言っていましたが、これは別に大橋くんがミュージシャンと言う特異な生業であるからではなく、誰でも持っているネガティブさなんですよね。極々少数の人を除いて、その不在が絶望的な混沌や危機、永続的な悲しみを招くなんてことはないし、ある種の当たり前さとして受け止められるのだけれど、じゃあ「現在」は何なの?と思う。
ただ、極端な例え話になるけれど、何十年も会っていない生き別れた家族を探すのは何故か? 別に会えなくても困らないけれど、会いたいと思うのは何故か? 世界は家族や友達ですら「自分でない」他人の集まりで、孤独で、冷たい世界だけれど、関係性の持つ熱が個々の他人を繋いでいく。
この歌を作り、歌う大橋くんに「世界は冷たくない」とは言わないけれど、少なくともこうして彼の音楽を聴いている私は、それによって生じる熱を愛おしく思う。彼の言葉どおり、もしかしたらいつか冷めてしまう熱かもしれないけれど、そのために存在した時間は、必ず大切すると約束できるから。
最初に聴いた時に、こいつは卑怯だと思ったのですよ(苦笑)。
私は父を諦めている分、母のことが大切で大切で堪らないのですが、自分でも口ばっかりで実が伴っていないということを恥ずかしながら重々自覚しています。
だから、まだ「私が貴方を支えます」とは、おこがましくて言えないのだけれど、これを歌う大橋くんの気持ちが直撃で、思わず泣きましたとも。
特にラストの ♪ あなたが願うような僕になれてますか? は、反則スレスレですね。卑怯。レッドカードは ♪ あなたの下に生まれ~ 胸を張って言い切れる ですけども。
だから、もう少し力入れてキャンペーンしてくれても良かったんじゃないのBMGさんと思ったりしてます。まぁ1stと3rdのタイアップの方が話題性は高いから仕方がないんだろうなぁ。
卑怯だなぁと思うのと同じくらい、ああ母に聴いてもらいないなぁと思いました。
実は、今日、母と出かけた際にさり気なくカーステで流してみたのですが、他のスキマ曲に紛れたこともあって気が付かなかったようです(笑)。照れるから、良いんですけどね。
私は子供はおろか結婚もまだですが、母を見ていて私はこんな風になれるだろうか?と思う。母親と言う人が持つ圧倒的な寛容さと忍耐力、それを支える無償の愛情と厳格さ、清廉さ。大橋くんが歌うように、どんなに返そうと思って行動しても返しきれない。伝えようとしても伝えきれない。いつか彼女のように強くて温かい人になれるだろうかと、彼女が私達兄弟にしてくれたたくさんのことを自分の子供に与えることができるだろうかと想像してみるけれど、何だか自分ではとても途方もなくて、感謝と敬意ばかりが膨らむのです。
そそっかしくて生真面目で意地っ張りで、そんなとこばかり似てしまったけれど、母の娘で良かったと思います。私にとっては、世界一幸せであるべき人なのです。
大橋くんが方々で「大嫌い」と自称している(笑)ものの、温かい雰囲気と込められたメッセージが印象的なPVです。何と言っても映像を包み込む淡い光と柔らかいセピアがかった色彩が、とても美しい。おじいさんや女の子は勿論、建物や森までも物語の中の一節を思わせます。たくさんの絵や空を見上げる優しい目と相俟って、おじいさんは絵を描いているシーンだけなのに、絵を描いた数だけ伴侶の姿を見つめ続けてきたのだと思うと、その愛情を感じて幸せな気持ちになります。色数は少ないのに、陰影すら寂しく見えない。
そして、何と言ってもこのPVの見所は、大橋くんのマフラー寄せです(笑)。本人はおおよそやり過ぎたと思っているらしく、常田さんにからかわれて激しく自省しているようですが、個人的にはややキザな仕種や演技が云々と言うよりも、そう言う風に「調子に乗って演技している自分を改めて見ると、こっ恥ずかしくて仕方がない」という心情と、それを前面に出してしまう大橋くん自身がらしくて魅力的だと思います。もう大好きだよコンチクショウ!!(笑)
いや、勿論マフラー寄せは有りです。この頃の大橋くんの髪型がちょうど良いなぁvv マフラーもコートもジーンズも、似合ってます。恒例の「大橋くんの手がキレイ」トークは、左手を首元にやってマフラーをぎゅっと握るシーン。手の甲の筋が、意外なくらい男らしくてメロメロと来ます(←細けぇよ)。2箇所あるんですが、一押しは2番サビの最後。
木漏れ日の中での常田さんとの2ショットも、凄く絵になっていて、この絵がジャケ写でも良いんじゃないかというくらい素敵な雰囲気です。この時の常田さんのシックな格好がまた良い。
曲自体の好き好きはあると思うのですが、個人的には非常に面白いなぁと感心しました。大橋くんの意欲やヤル気が感じられ、まさにスキマでは出来ない、ソロならではの楽曲。
しかも詞先! あの曲至上主義の大橋くんが詞先!!(驚愕) 秦くんが、それまでずっと曲先だったけれど、『僕らをつなぐもの』で初めて詞先の曲作りをして以来、どちらでも書けるようになったなんて話をしていましが、大橋くんも詞先の曲がぽつぽつ出て来るのでしょうか?
ギターも歌声も歌詞も曲も、ひたすらシンプルで飾り気のない真っ直ぐで、大橋くんの声がくすぐるノスタルジィに、思わず歌の中に出てくるように空を見上げて、安堵と懐かしさと郷愁を感じる一曲です。若干、力の入り方が空回っている気がしなくもないけれど(苦笑)。
私は学校が遠かった(片道40~50分くらい)ので、ランドセルを下ろしてから遊びに行くのでなく、かるったまま遊びながら帰っている子でした。おたまじゃくしをバケツいっぱい捕まえたり、海辺の言わばでプチ水族館作ったり、野いちごや椎の実取って食べたり、山に入って秘密基地作ったりと、割とステレオタイプな野生児でした。そういうことを思い出しながら、あの頃のキラキラ感や熱量や純粋さがどれだけ貴重だったかを思い知るのですよね。
正直、フォークの定義は良くわからないんですが(ついでにロックの定義もわからない)、ゆずがネオ・フォークと呼ばれていた理由が何となくわかった気がしました(笑)。